主な万葉歌碑等所在地

1.阿尾 阿尾城跡登り口
「英遠(あを)の浦に寄する白波いや増しに たちしき寄せく東風(あゆ)をいたみかも」
(意)英遠の浦に打ち寄せる白波は、ますます高くなり、しきりに打ち寄せてくる。これはやはり東風が強く吹くためだろうか。
氷見市街北端の海岸に突き出すようにそそり立つ断崖絶壁があり、この一帯がかつて“英遠の浦”(あおのうら)と呼ばれていました。断崖の岬には、天正年間に菊池氏が居城したという阿尾城跡があり、ここからは能登方面や北アルプス山脈も遠望する雄大な景観が望めます。
(氷見市制施行30周年記念の建碑)
2.床鍋 臼が峰
志乎路加良直越来者羽咋之海 朝凪之多里船楫毛加毛
(しをぢからただこえくればはくひのうみ あさなぎしたりふねかぢもがも)
(意)志乎路からまっすぐに山道を越えてくると、朝の羽咋の海はいかにも穏やかである。この海を漕ぎ渡って行く船や櫓があればいいのだが…。
志乎路(しをぢ)は、氷見から能登の羽咋へ通じた峠道。源平の古戦場であり、江戸時代は御上使巡見の要路でもありました。家持が政務でこの峠を通ったときに詠んだものです。床鍋からのぼりつめた頂上近くに、自然石でできた歌碑(松村謙三筆)があります。また標高270mの頂上には、流罪の旅の途中ここに至ったと伝えられる親鸞聖人の銅像が建っています。
3.布施 布勢の円山 御影社
明日の日の布勢の浦みの藤波に けだし来鳴かず散らしてむかも
(意)明日眺めようという布勢の海辺に咲き匂う藤の花に、ほととぎすが来て鳴かないで、せっかくの花をむなしく散らしてしまうのではなかろうかと気がかりです。
布勢の水海跡にある小丘陵、布勢の円山の頂上に延喜式内社・布勢神社があります。その社殿裏の松林に建つのが、大伴家持を祭った「御影社」。現在は、鳥居が建ち、前口90cm、奥行120cmの流造の社殿になっていますが、もとは建物前口3尺、奥行3尺の小さな祠で、大伴家持を祭った全国に数少ない社であることから、昔から、アララギ派の歌人・土屋文明をはじめ、万葉に心よせる人々が各地から訪れています。
4.下田子 田子浦藤波神社
藤菜美能影成海之底清美
之都久石乎毛珠等曽吾見流
(ふじなみのかげなすうみのそこきよみ しづくいしをもたもどぞわがみる)
(意)藤の花が美しく咲き、影がうつる湖の底までも清く澄んでいるので、水の底に沈んでいる石でさえも珠かと見誤るほどだ。
初夏、鳥居をくぐり、石段をのぼると、本殿左後に、本居宣長の曾孫・本居豊穎(もとおりとよかい)の筆になる万葉仮名で刻まれた歌碑があります。また題字は巌谷修(貴族院議員)の筆による隷書で「大伴家持卿歌碑」と書かれています。なお、佐阿弥安清(さあみやすきよ)によってつくられたといわれる幻想的な謡曲「藤」は、この田子の藤が主題となっていることは、よく知られています。
5.布施 布勢の円山 布勢神社
万葉時代の「布勢の水海」の中に位置していたと言い伝えられる布勢の円山(標高20m)。その丘に建つのが、延喜式内の古社・布勢神社で、祭神は、崇神天皇10年(紀元前88年)北陸道鎮撫将軍として派遣された四道将軍の一人、大彦命です。その境内左側の茂みに、享和2年(1802)に建てられた「大伴家持卿遊覧之地」と刻まれた石碑があります。裏面の撰文によると、題字は正二位権大納言花山藤公。万葉関係の碑としては富山県内最古のものです。